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身延山・久遠寺・七面山
今回は久遠寺と、七面山の滝行場と入山口までの参拝でした。
十数年前ですが、数度にわたり頂上まで登らさせて頂きました。
病人などが同行で、確か8時間以上かかっての登頂だったと思います。
日本は本来、神仏習合。僕の中では神と仏で一つと解釈しています。
神様だけでなく仏様の智慧と力も、現世では大事だと最近少し解ってきました。
法華経のお題目
南無妙法蓮華経とは?
久遠寺によれば
日蓮聖人は『観心本尊抄』のなかで「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。
我らこの五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまう」として、
お題目を唱えることの重要さを説かれています。
「釈尊の因行果徳の二法」とは、お釈迦さまが長い時間をかけて行った修行と、
その結果得られた徳のことをあらわします。「妙法蓮華経」という五字、すなわち「妙法五字」の中にこそ、
お釈迦さまの功徳がすべて含まれているのです。そして「妙法五字」を「受持」すれば、
自然とお釈迦さまの功徳をすべて譲り受けることができるのです。お釈迦さまの功徳をすべて
受け取るということは、お釈迦さまと同体になるということですから「仏」になる、
すなわち「成仏」できるということです。つまり「妙法蓮華経」の五字を「受持」する者は、
この世にいながらにして成仏することができる、すなわち「即身成仏」できるわけです。
それでは「受持する」ということはどういうことでしょうか。
日蓮聖人は「妙法五字」の受持は「身口意(しん・く・い)の三業(さんごう)」によって
成されると説かれています。「身業(しんごう)」とは、「法華経」の教えを身をもって実践すること、
「口業(くごう)」とはお題目を一心に唱えること、「意業(いごう)」とは「法華経」の教えを心から
信ずることで、この三つの業が欠けることなく一つになってはじめて「妙法五字」の「受持」となるのです。
お題目にある「南無」とは、身命を投げ出して教えに従って生きるという決意を表します。
ですから「南無妙法蓮華経」というお題目を唱えるということは「妙法蓮華経」に帰依するということで、お
題目を心から信じ、唱え、その教えを実践することによって、この世に存在するすべての人が、
お釈迦様の功徳を自然と譲り受け「即身成仏」することができるのです。
とありました。ご参考までに。。

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