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小御門神社
ご祭神
藤原師賢公
内大臣藤原師信の御子。
花山院と号した後醍醐天皇の側近でした。
元弘元年(1331)醍醐天皇に仕えて弾正尹を兼ね大納言に任ぜられ、
公は最も慷慨の気節に富、学問は深く、後醍醐天皇は殊のほか寵遇なされたそうです。
天皇の身代わりとして、御衣を賜り叡山に登り鎌倉幕府の北條高時の暴逆を憎んでこれを
打ち滅ぼさんと賊軍討伐の錦旗を立てたが、一時は僧兵らを味方に付けて、幕府方の六波羅探題の軍に
対して勝利を治めるが、途中で身代わりの天皇であることが味方にばれてしまい総崩れになり討伐に失敗。
捕らえられて、下総へ配流され、当地で32歳の生涯を終えたとされています。
この翌年、隠岐ノ島に流されていた後醍醐天皇が脱出、楠木正成・足利尊氏・新田義貞の
同時蜂起により、鎌倉幕府が陥落して、ついに後醍醐天皇は天皇親政の世、建武の新政を実現することに
成功されます。しかしこのとき側近・藤原師賢公はすでになく、太政大臣を贈り、
文貞公のの諡号を与えられたそうです。神社に祀られたのはこのずいぶんあと、
明治時代になってからなのです。
建武の中興
武家中心の社会を、古代の律令国家へ戻し、天皇中心の社会へ復帰させることが目的。
徳川幕府の武家社会から維新によって、明治政府を樹立した
明治天皇にとっても、この建武の中興は意味深い時代であり、
建武中興に尽力した祭神・藤原師賢公を、その功によって
最期の地、下総へ祀ったのは、明治15年。
詳細については 建武中興十五社 を検索してご覧下さい。
学校でカタチだけ習った歴史の正式な1ページに触れる事が出来ると思います。
全てを正しきに導く「回復の神・身代わりの神」
(事業経営、病気、商売、身分等における悪しき変化・不具合を祓い清め、元の正しい状態に導かれます)
と「学芸の神」(学問、芸道上達の神)とされております
今回は、成田夢牧場のキャンプに行ったときに、導かれての参拝となりました。
牧場から、7分くらいです。

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