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生命について学んだこと。

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『知っていて欲しいこと』にも書きましたが、僕の場合、神社や仏閣にお参りに行った際「何かを貰いに行く」のではなく「学びに行く」のです。つい忘れてしまって、「お願い事」の為の参拝になってしまったりしますが、きちんと「~について学ばせて下さい。」と問えばしっかりと答えが返ってきます。今回は金沢の白山ヒメ神社に参拝に行ったときの話です。この神社は白山をご神体とする神社で、白山ひめ大神(菊理媛神【くくりひめのかみ】)・伊弉諾神・伊弉冉神の三柱をご祭神とした神社でした。伊弉諾神・伊弉冉神は国生み神生みの父と母です。丁度数日前に三女が生まれたばかりなので、今回は《『生命』について学ばせて下さい。》と問いかけてみました。僕の場合、問いかけの答えが即答で返ってくる場合もありますが、今回はその神社を離れて鳥越城址の天守閣跡にいたときに答えが返って来ました。《生命とは繋ぐ事。》と答えが返ってきました。そしてその後にイメージがフワーっと広がり・・・・生命は自分から始まる訳でも生まれたばかりの赤ちゃんから始まるのでもないのです。遥か昔のまたその遥か昔。親は子の幸せを願い、その子供が親になればまた同じように子の幸せを願います。その幸せになって欲しいという願いがずーっと続いて今の自分がいて、自分の子供がいるのです。様々な時代に、様々な苦労を乗り越えて子孫を残した先祖、祖父・祖母・父・母に深い感謝であると同時に、今、生を受けたこの世で精一杯幸せになるよう努力する事。それが生命について学ばせて頂いたことでした。後で調べて分かったのですが白山ひめ神社のご神紋は、正式な名称を「三子持亀甲瓜花(みつこもちきっこううりのはな)」といい、六角の亀甲の形を七五三に配した三つ子持ち、すなわち三条の構えをめぐらし、その中に瓜の花を描いたもので、亀甲は千寿万歳の長寿を表わすおめでたい象徴であり、三つ子持ちは、親から子、子から孫へと、過去・現在・未来にわたって絶えることのない家運長久を意味しているご神紋なのだそうです。

親は子の幸せを願う。

白山ヒメ神社から丸岡城(霞ケ城)に行った時の事です。ここは天守閣が現存する数少ないお城の一つです。
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そこのお城は築城の時に何度も基礎の石垣が崩れてしまい、なかなか工事が進まなかったそうです。そこで誰かの進言で人柱を埋めたらどうかと言う事で人柱を埋める事になりました。(そんな進言のある時代だったのですね・・・。)そこでお静さんという女性が、息子の一人を侍にして貰う事を条件に人柱に立候補したそうです。こうしてお静さんは人柱になり、もう基礎の石垣が崩れることもなく城は完成したそうです。しかし、その後、戦や時代の流れで、お静さんの息子は結局侍にはなれなかったそうです。お静さんは息子の幸せを願い、激動の戦国時代に自分が息子の幸せの為に出来ることとして、人柱に立候補しました。悠久の昔から親たちは無条件に子の幸せを願い生命を今に繋いで来たのです。祖先に限りない感謝を捧げ、幸せになる事。これが今を生きる目的です。そして、知っていて欲しいのは『幸せって何?』という部分です。物やお金は符号であって幸せの本質ではありません。学歴や地位なども同様です。親は子の幸せを願いますが、親の望む幸せが、子の幸せとは限りません。苦労しないように、失敗しないように・・・ある種の愛情だと思います。しかし、苦労せず、失敗せずに大人になり、親がいなくなった後、どうやって生き抜くのでしょうか?親が考える幸せな状況って、本人は幸せなのでしょうか?そうかも知れませんが、違うかも知れません。お静さんの話を皆さんはどう思われましたか?子を思う母の尊い気持ち。その一方では、自分の幸せを願い人柱になる母、もう二度とお母さんには会えません。その息子さんの心情はどんなだったでしょう?お静さんは息子が侍になり幸せになると信じて旅立ちましたが、結局その思いは叶いませんでした。これは不幸な話でしょうか?誰かが悪いのでしょうか?もう少し考えてみましょう。息子は結局侍にはなれませんでした。一見不幸な結末に思えるかも知れません。しかし、侍にならなかったという事は戦に出ずに生き延びる事が出来たという事です。約束通り侍になっていたら戦に出て命を落としていたかも知れません。目の前で起こる様々な出来事。その場、その時だけで考えれば、単一的な観点で考えれば、あれが悪い、これが悪い、もっとこうしておけば・・・・。沢山、思うでしょう。しかし、長い視点で見れば、すべてそれで良かったと気付く時が必ず来るのです。命を後世に繋ぐという大きな意味では侍にならないで良かったのです。お静さんの息子にとって母を亡くした事はとても悲しい事です。その悲しみと同時に母の大きな愛情も理解し、決して心から消える事はないでしょう。全てはどのようにとらえるか『心の位置の問題』なのです。幸せだと感じるのは本人の心なのです。与えられたものや、押し付けられたものでは、心から本当に幸せだとは思わないのです。様々な経験や出来事で心や魂が磨かれ高い心の位置になり、自分で感じるのが幸せなのです。世間一般では、常識では、みんなは、他の人は・・・・。比較すると見えなくなります。
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娘と富士山に登った時のこと・・・。

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別ページに細かく掲載してありますが、今回このページを書いてて思い出したことがあります。当時、小学校四年生と五年生の娘を連れて富士山山頂を目指した時のことです。結構気軽に考えて小富士などを見て昼過ぎに五合目を出発。須走口をゆっくり登って行きました。途中急に雨が降ったり、風が強かったり・・・・日が暮れて真っ暗になっても、全然休憩予定の宿が見えて来ない。八合目から上では身体が悲鳴をあげる。今となっては貴重な思い出ですが、その時は辛かった。一番辛かったのは、下を向いて涙ぐんで黙々と登り続ける娘を見た時。『もうやめる?引き返す?ここまでで充分やったよ!』頭の中を次々とそんな言葉が過ぎりました。娘も『もうやめる。』と今にも言いそうな表情。僕から『もう・・・・』と言ってあげたい衝動をぐっと我慢するのが一番辛かった。結局、時間はかなりかかりましたが、誰もギブアップせずに全員が頂上に辿り着くことができました。この登山では、『どんなに時間がかかっても、諦めずに進み続ければ必ず目標が達成できること』それから、『苦しんだり苦労したりしてる我が子を、見守ることでお互いが大きく成長すること』など多くを学ばせて頂きました。
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時々日記。聖地などで学んだことや出来事を書きますね。

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